ウィーン4日目 +帰宅(ベルギー・オランダ・オーストリア・プラスαの旅)

すっかり更新が遅くなってしまいました。

さてこの4カ国の旅も本日最終です。飛行機の便が夕方からなので午前の時間を使ってハプスブルク家の王宮(ホーフブルク宮殿)へ行ってきました!こちらは、ハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで約600年にわたって住居としてきた王宮で、とっても広くてお大きな建物。ウィーンの中心地にあります。

ハプスブルグ家で有名な女性といえば、「女帝マリア=テレジア」ですが、もう一人フランツ・ヨーゼフ1世の奥さん「皇后エリザベート」も有名です。宝塚歌劇団や、東宝ミュージカルなどで知ってる方も多いかもしれません。彼女の話は小説や映画にもなっておりその内容はとても色濃いものです。

ウィーン2日目に訪れたハプスブルグ家の離宮”シェーンブルン宮殿”では「マリア=テレジア」がクローズアップされていたのに対し、こちらの”ホーフブルク宮殿”では「エリザベート」がクローズアップされています。


こちらもバリアフリーなのでBonちゃんをバギーに乗せて裏側からエレベーターで見学コースのある階まで登ります。

まず、見学コースの最初に王宮の食卓を飾った山のような食器のコレクション。その所有数は計り知れずです。


繊細な食器たちがずらりと並んでいました。

洗うの大変そう・・・(←庶民の発想)


その後、エリザベートの生い立ちや遺品などを展示されたブースや、実際に王家が使用していたお部屋などの展示を見て回るのですが、残念ながらこちらは撮影禁止でした。

幸運にも!?Bonちゃんがベビーカーで寝ぐずりもせず静かに寝てくれていたのでまたもやオーディオガイドを聴きながらゆっくり見て回ることができました。

ここでちょっとシシィの愛称で知られる皇后エリザベートの話を。

彼女は身長172cm、ウエスト50センチで体重は生涯43〜47キロというスタイル抜群の女性でした。さらに当時のヨーロッパ宮廷イチといわれる美貌だったそうです。

驚くのが、彼女は4年間で3人の子供を出産したこと。その後ちょっと間が空いてもう一人出産しているので計4人の子供を授かっています。


4年間で3人!? 付き人が沢山いるからこそ出来たことなのでしょうか。今の私にはとうてい考えられません。9ヶ月のBonちゃん1人だけでも手いっぱいなのに。。。


そしてその後、「美貌、痩身、美髪」を保つために相当な努力をしていたそう。例えば、この宮殿のシシィの部屋にあった体重計と運動器具(つり輪と健康ぶらさがり機みたいなの)とか。毎日体重を量り、体操室で美容運動をしたり1日10キロのウォーキングをしていたそうです。

食事は、毎晩豪華な食事が用意されるにもかかわらず、温かいブイヨン(出汁だけのスープ)とオレンジジュースかミルク、もしくは卵の卵白に塩で味付けをしたものでした。少しでも体重が増えると、絶食をするなどの過度なダイエット法を取り入れてました。

でも、そこはやっぱり女性。甘い物が大好きだったそうで、アイスクリームやクッキーなどは食べていたそうです。

肌の手入れには、イチゴと油のパックをしたり、バスタブにオイルをたくさんいれて温浴したり、水風呂につかったり、1日に何度もマッサージをしたり、、、と美容法をあげるとつきないのですが、異様なまでに美に執着していたのがよく分かりますね。


最近の私、スッピン、髪ボサボサ、体はブヨブヨ、、、ちょっと見習うべきでしょうか(汗)


特に髪の手入れに関しては毎日2-3時間ほどの時間を費やしたそうです。これは自分自身でやっているのではなく、お付きの人がやっていたので彼女は座っているだけ。でもその時間を使って、読書をしたり(朗読してもらったり)、ギリシャ語を勉強したり、詩を読んだりしていたそう。そういえば、彼女自身もたくさんの詩を書いて残していました。

彼女は元々はバイエルン公マクシミリアンとバイエルン王女ルドヴィカの次女として生まれました。幼少の頃はとっても自由奔放、身分が高い低い関係なしに誰とでも壁を作らず気さくに遊んだり、当時は女性はなかなかしなかった狩りに出たりと、勇敢でユーモアに長けた人柄でした。

そして1853年の夏。姉ヘレーネのお見合い相手だったオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフに一目惚れされ結婚することになりました。


きっと自由奔放で無邪気で勇敢な女性。さらに美女。王子様からみるととっても魅力的にうつったのでしょうか。


しかしながら、わずか16歳の少女シシィは、オーストリア皇后になるための厳しい妃教育を受けるわけですが、宮廷の厳格な生活に耐えられるわけがありません。

さらには、姑のゾフィー大公に色々と嫌がらせを受けたり、四六時中監視されたりと、いじめられてしまうのです。

そんなシシィは精神的に病んでしまい、人前に出ることを極度に避け、宮廷生活や皇后としての職務を嫌い、さまざまの口実を見つけてはあちこちに旅に出かけて逃避していたようです。

さらには愛息の死(自殺)を始め、近しい人の訃報が相次ぎ療養が必要なまでに追い込まれていたのでした。そして療養と称し旅行や別荘に移住し、ずっと宮廷には戻っていなかったようです。

彼女が60歳のときに、旅行先でイタリアの無政府主義者のルイジ・ルケーニにより暗殺され亡くなってしまいます。


彼女についてはもっと沢山の逸話がありここに書き切れないほどです。

このホーフブルク宮殿の見学コースはエリザベートとフランツヨーゼフ1世について分かりやすいように丁寧に作り込まれてて、理解しやすく見応えのある内容でした。

もしまた来る機会があれば、もう一度行きたい場所です。その時はもっと書籍などを読み込んで内容を詳しく知ったうえで行きたいと思います。

ホーフブルク宮殿(王宮)の詳細はこちら。

そうそうホーフブルグ宮殿の近くには、ウィーン定番の観光スポット“モーツァルト像”もありますよ。ト音記号にお花が植えられているのが特徴です。

その後、ホテルをチェックアウトし飛行機では搭乗後に機材トラブルで飛行機の中に1時間以上閉じ込められるというアクシデントもありましたが、アムステルダム空港まで無事に到着し車でベルギーをまたいでフランスの自宅に深夜に帰宅しました。

今回の旅の話はひとまずこれで終了です。


asa

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